ゆっくりと、少しずつ、自分の考えを洗脳させようと企む。3日にチームで飲み会をして、ユニフォームとチーム名の決定と、そしていくつかのフォーメーションについて語りあったけれど…。少しくらいはバレーを知って、考えてみようぜ、つって。
自分が高校でバレーを続けた訳。中体連最後の試合で、まざまざと実力の差を見せ付けられたこと。それはスパイク力とかレシーブ力とかでなくて、チーム力というかバレー力の圧倒的な差。スパイクはスパイク、レシーブはレシーブ、ブロックはブロック。中学の3年間でやってきたことは、ただそれだけであって、バレーボールではなかったとを、コート越しの相手チームを見て知ってしまったから。だから、バレーボールというものを高校ではしてみたかった。
時は流れ、再びバレーを始めている。たまたま見かけたブログに自分の知らないことがたくさん書いてあったことがショックだった。サイドアウト制からラリーポイント制に変わり、リベロというポジションができたのは大学に入ってから。足(体)でボールを上げてよくなったり、オバーでサーブレシーブしてよくなったのは、確か高校の途中。今では一般レベルでもジャンプサーブやなんちゃってリードブロックは当たり前の技術になっている。現役時代とは、もはや別の競技と言ってもいいくらいの変わりよう。
にもかかわらず、70年代バレーしか知らない自分らは、今でもそれが唯一のバレーだと信じてやまない。なぜ戦術が進化(変化?)してきているのか、なぜ新たな技術が開発されてきているのか。なぜ、その技術(戦術)が残り、その技術(戦術)が廃れたのか。それは理由があるから。
所詮、底辺のバレーボーラー。世界からは10年、15年遅れているだろうから、自分らはその1年でも2年でも先を行けば有利になれるはず、と思うのだけど上手くはいかないね。みんなが当たり前にやっているAクイックや時間差だって、昔は世界のトップレベルのみがやっていたことなのに、80年代以降のバレー戦術に対しては拒絶反応を起こしたり、試しもせずに「無理だ」と決め付けている。この差は何なのだろうか?周りがそんなだから、今自分は無性にいまどきのバレーボールをしてみたい。
フォーメーションがどうこう以前に、ただ、打った・拾った・止めたというものをバレーボールと呼ぶのなら、そんなつまらないものはやめてしまいたいし、最低限コートにいる6人が6人とも機能するシステムを考えておくれ。特定個人を活かすために、他の選手を殺してしまうようなシステムでは意味がないのだと思うよ。まして、メンバー全員が楽しむバレーボールをするためにはね。もう少し自分を活かすことばかりではなく、他人も活かしつつ自分も活きることを考えたらいいのだと思う。ゲームで殺され続けている自分が言うのだから、間違いないはず。それに、特定個人を活かしたところで毎回全員が揃うチームではないのだから、その都度入れ替わった個人を活かすシステムを考えるつもりなのかな。ま、いいけどさ。自分の考え自体が正しいかどうかは、今のところ実践しながらの検証中だし。(自分に実力がないから高度な技術は検証できないと言うのは秘密。)